栗原信秀は文化十二年(1815)に越後国月潟村(現新潟市)に生まれました。文政十二年(1829)に京都へ上り鏡師となります。嘉永三年(1850)に江戸へ出て清麿に入門して刀鍛冶となります。三十歳過ぎと遅い入門で相当の信念があっての転職と思われます。最古年紀は嘉永五年で師事した期間はかなり短かったと云われています。嘉永六年には浦賀で作刀し、慶応元年には上洛して筑前守を受領、大阪に留まり慶応元年十月から同三年正月滞在しました。その後は江戸へ戻ります。明治七年には新潟へ帰郷します。同十年に弥彦神社の御神鏡の製作を行っています。最後は東京で明治十三年、六十六歳に没しました。清麿門人の中で技量が卓抜しており、一番の巧手といわれ、刀身彫刻でも名を馳せています。清麿の師風を存分に受け継いだ優品です。
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